体験記2

土浦体験記

生理ってこんなに楽だったんだ。」
これが手術後に生理を迎えた私の、率直な感想です。今のところ痛み止めも飲まずに済んでいますし、夜用のナプキンも使用せずに済んでいます。スカートが履ける!白い服が着られる!もうずっと忘れていた感覚でした。

私は、国立病院機構霞ヶ浦医療センターで「子宮腺筋症核出術」の手術を受けました。お陰様で手術は成功しました。術後の経過もよく、2月に手術をして5ヵ月後の7月にはニューカレドニアの海で、セパレーツの水着を着て泳ぐこともできました。水着を着るのは何年ぶりだったでしょう・・・。今、三十路後半シングルの私は、遅く来た青春?を謳歌しています。これも西田先生をはじめとする霞ヶ浦医療センターの方々のお陰です。この場を借りて、手術に関わった全ての方々に心から感謝いたします。

「子宮腺筋症」(しかも全周性)。初めてその言葉を聞いてから3年。その間、都内・近郊の総合病院、大学病院をいくつまわったことでしょうか。行く病院、行く病院でもう手遅れだと見放され、年齢的に全摘出するのが一番と言われ続け、一時は絶望のどん底でした。それでも諦めずに、全摘出以外の対処療法を探し求めて、最後に送り込まれたのが「霞ヶ浦医療センター」だったのです。

生理は重いのが当たり前だと思い込み、辛い症状もずっと我慢してきた私でしたが、生活の質がどんどん下がり、精神的にも肉体的にも限界が近づき、やれることは何でもやろうという暗中模索の日々が続きました。薬物療法、ホルモン療法が合わず、漢方も効果がなく、腹腔鏡手術ができるのではないかと期待して、都内の大学病院に行ってみたものの、私のような全周性の腺筋症の場合は、全摘出以外の手術など不可能だったのです。どこに行っても納得のいく答えはありませんでした。諦めたくても諦めきれない。自暴自棄になっていました。いくら楽になるからと言われても、どうしても全摘出だけは避けたかったので、「手ぬるい治療」と言われながらも、時間稼ぎのように低用量ピルを服用して経過をみる日々が続きました。ちょうど「負け犬」という言葉が出始めた頃でもあったので、まるで自分のことが批判されているかのようで、世間からも医学からも見放されたように聞こえて、果たして私は生きている意味があるのだろうか?とさえ思いました。別に私は、結婚も出産も諦めた訳ではないし、たまたま今シングルなだけで、一生独身を貫くつもりもありません。それなのに、今の今まで結婚せず出産しなかったことがこの難解な病気の原因のように言われてしまいます。確かに考えられるかもしれないが、実際は原因不明で、まだまだ解明されていないことの方が多いというのに、この年齢で未だに結婚も出産もしていないことが、世間から外れた者で、どこかまともじゃないように見られてしまいます。論点を摩り替え、未婚で出産経験のない女性をどこか嘲笑い、心理的に追い込んでいくような態度の方こそまともであるとは思えないし、決してあってはならないはず。なのに現実はどうだろう?つくづく「子宮腺筋症」は現代病なんだと実感しました。しかも(精神的にも肉体的にも)この苦しみはわかる人にしかわからない、とてもマイナーな病気なのです。そんな中、友人が不妊治療の後にめでたく出産したので、お見舞いに都内の総合病院に行ったことが、今回の手術に繋がる全ての始まりとなりました。友人からの薦めもあって、「悩んでいるのはきっと、私一人ではないはず」と解決方法を期待して、藁をも掴むとはこのことかとばかりに、その病院のお世話になることにしました。

「一番の問題は、あなたがケロッとしていることよ。あなたの様な症状ならもっと訴えてもいいはずよ」「こんな身体でバレエを習っているなんて、ありえない!」「あなたは昨日今日から酷くなりましたみたいな顔してるけど、ここまで酷くなるには相当時間がかかったはず。とにかく今までのストーリーを全部聴かせて」「貧血の値が酷い!普通の人の半分の値しかないわよ」ハキハキとした女医先生は、私の症状がいかに深刻であるかを、力説してくださいました。その頃にはもう、医師に何を言われても動じない位鍛えられていたので、そんな私の態度や表情をとおしてその先生は半ば呆れながらも、瞬時に全てを読み取ってくださいました。何もやらないよりはマシということで、しばらく低用量ピルの服用を試みましたが、もちろんそれで済むはずはありません。そうこうしているうちにピルの副作用で、血栓症の恐れも出てきたので、これ以上の服用は避けた方がよさそうだということになり、いよいよ次の段階に進まなくてはならないところまできてしまいました。その病院では腺筋症患者がUAE手術を受けていて、成功例もわずかにありましたが、私の症状ではその手術は有効ではないらしく、ここでも駄目なのか・・・と落胆していると、「当院ではやっていないけど、高度先進医療の高周波レーザー治療(後で高周波切除器であるとわかった)が厚生労働省の認可を受けたと聞いているので、そこを調べてみてはどうだろうか」と先生が調べてくださったお陰で、ついに「国立病院機構霞ヶ浦医療センター」に辿り着いたのです。タイムリーなことに、ちょうど認可を受けて間もない頃でした。

「高度先進医療?大丈夫なんですか?怪しくないですか?霞ヶ浦?どこですか?」「怪しい手術に、厚生労働省がわざわざ許可などしません!」わずかな可能性を信じて、最後の砦である霞ヶ浦医療センターに予約を入れました。ホームページを見たら「腺筋症外来」があるので驚きました。腺筋症に取り組んでいる病院があるなんて!!絶望のどん底から、だんだん道が開けていくような気がしました。わずかな希望の光をたどるかの様に、私は遥々常磐線に乗って、初めて土浦まで行きました。土浦が日本一のレンコンの生産地だということも初めて知りました。自宅のある横浜からは遠かったけれど、行き着く所まで来たんだという気持ちの方が大きかったので苦ではありませんでした。

初めて西田先生にお会いした時、MRI写真等から私の症状の重さに沈黙されているようで、重苦しい空気が流れました。遥々ここまでやって来たのに何を言われるのだろうかと、不安で緊張しましたが、先生の真摯で誠実な対応に感銘を受け、この先生にはついて行っても大丈夫かもしれないと思いました。わかりやすく丁寧に、病状のこと、手術のことを説明してくださいました。全周性の腺筋症核出術は、通常の手術よりも相当厄介で大変だが、前例もあり、「やってやれないことはない」という先生の一言に、明るい一筋の光が見えました。手術が決まった帰り道、今までの辛かったことが思い出されて涙が溢れてきました。希望の涙でした。

私の場合、腺筋症が子宮の背中の方まで広がり、全体が肥大していることが一番の問題でした。そのため病巣の体積を減らして、通常の子宮の大きさにするために子宮再形成を行うので、どうしても片側の卵管は摘出しなければならないとのことでしたが、卵管はひとつでも妊娠は可能だし、他に選択の余地もなく、決断を余儀なくされました。すると不思議なことに、失うものには感謝をしてお別れし、残されたものに改めて感謝をする気持ちも芽生えてきました。手術は開腹手術なので、恥骨の上に、目立たなくなるとはいえ痕は残ります。また、手術時に大量出血も予測されるため、私は貧血症なので(不思議なことに術前検査では正常値になっていました)輸血も考慮しなければなりません。そして生まれて初めての長期(一週間でしたが)入院と初めての全身麻酔。あまりのリスクの多さに、果たして本当にこれでいいのかと、正直言って逃げ出したい気持ちにもなりましたが、今の私にはこれしかない、もう後戻りはできない、目の前の道を進むしかないと直感しました。どんなにハードな手術であっても、絶望のどん底から抜け出すための、生活の質を取り戻すための、そして一番の課題である「妊娠の可能性を残して」の、人生の仕切り直しだと思ったのです。覚悟を決めてからは、自分で決めた決断は正しいと思えるようになりました。

手術の二日前に入院しました。同じ日に腺筋症の手術をする方がもう一人いたので、何かと心強かったです。この病院には、日本全国から救いを求めて手術を受けに来る人が多いのだということも改めてわかりました。そのことが、腺筋症に取り組む病院が他にないことを物語ってもいるのです。手術は2時間程度で終了しました。心配された輸血もしなくて済みました。摘出物は全部で、約490gでした。野球のボールを少し大きくした、ソフトボールのような球状のものと、鳥肉のささ身状のものが大量に削ぎ落とされました。翌日は安静にしていなければならず、寝返りも打てない状態だったので辛かったのですが、負傷兵ってこんな感じなのかな?とどこまでも呑気に、見舞いに来てくれた母と話していました。遠いのに毎日来てくれて本当に感謝しています。父も手術当日に、予定を変更して駆けつけてくれました。両親の存在がこれほどありがたいと思ったことはありませんでした・・・。

術後、お忙しいにも関わらず、西田先生が何度も病棟に来てくださいました。会うたびに「いや~大変だったよ~」と言われ、「手術は上手くいきました。出血もほとんどなくて、輸血もしなくて済みました。これで随分楽になりますよ」と、にこにこしながら声をかけてくださいました。とても嬉しかったし、安心することができました。二日後から、起き上がれるようになり、食事も流動食から通常食に戻りました。患部には防水テープが貼られてあるので、シャワーも浴びることができました。逆に、どんどん歩くように指示され、努めて病院内を歩きまわったり、できる範囲でストレッチしたりしていました。当初は、せきやくしゃみのたびに傷口が傷みましたが、それも徐々に回復して、抜糸してから退院する頃には、ほぼ日常生活を支障なく送れるようになりました。そして退院後、約2週間の自宅療養を経て、完全に社会復帰できました。

普通の生活、普通の生理。当たり前のことなのかもしれませんが、こんなにありがたいと思ったことはなく、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。私の場合、病巣の体積が減って、人並みの子宮の大きさになったものの、完全に病巣がなくなった訳ではないので、再発して悪化しないように、無理せず、ストレスを溜め込まないように、心身の健康管理に気をつけるようなりました。「妊娠の可能性」を残し、今、新たな人生をようやく生きているような感じがします。私のようなケースは14例位あるものの、やはり?患者は皆さん独身者が多いので、その後妊娠したケースのデータはまだないそうです。今後、腺筋症を克服した方が妊娠する事例が増えることを期待しています。ぜひ私が先駆者となりたいものです。かつての私のように、腺筋症で悩んでいる方が、安心して最善の治療や手術が受けられ、一日でも早く身体も気持ちも楽になれますように、祈ってやみません。腺筋症がもっと理解され、「特殊な現代病」と棚上げされることなく、全国に霞ヶ浦医療センターのような機関が増えて、治療の開発が進むことを願っています。

毎日忙しく外来と病棟を食事をする時間もない位走り回っていらっしゃった先生方、そして明るくて優しくて癒し系の看護師の方々、入院中は本当にお世話になりました。ありがとうございました。特に西田先生には、言い尽くせない感謝の言葉でいっぱいです。私にとってこの手術は、間違いなく残りの人生へのターニングポイントとなりました。本当にどうもありがとうございました。

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